第4章-2006年 夢の舞台 そして
長いようで短くもあった競技生活にピリオドを打つ時がやってきました。 9月24日は二人で初めて出場した日からちょうど丸19年、いろいろな事がありましたが満足のいく競技人生だったと思います。 引退のセレモニーをやって下さった先生方には本当に感謝しています、 ...
第4章-2003~2005年 夢の舞台 そして
2002年に横浜にオープンしたヤハタダンススクールも軌道に乗りスタッフも増え充実した日々を過ごしました。 ただ競技者としてのハングリーさは徐々に薄れていきました。 引退の相談も何度かラルフにしましたがまだダンスに於いてやり残した事があると聞いてはもらえませんでした。 ...
第4章-2002年 夢の舞台 そして
オランダ デン・ハーグに於いて世界選手権が開催されました。 日本代表として山本善洋・英美組と共に臨んだこの大会は、大会初の日本人2組の決勝進出そして全日本チャンピオンを抑えて第5位という好成績。 最高の形で夢の舞台を迎えることができました。 ...
第3章-2001年 痛みを乗り越え 夢へ
1997年から5年間ジャーマンオープン選手権ショーダンスでファイナルを踊り続けてきた事がついに実を結び、全日本ショーダンス世界選手権で第2位となり念願の日本代表として世界選手権に出場する切符を手に入れることが出来ました。 ...
第3章-2000年 痛みを乗り越え 夢へ
統一全日本がスタートした記念すべき年です。 6年間JDCのファイナリストとして踊ってきたプライドを持って挑んだ初めての全日本戦。 結果は残念ながら準決勝止まりでしたが、久しぶりにまた大勢の友人と日本国内で同じ試合に出場できてとてもエキサイトした試合でした。
第3章-1999年 痛みを乗り越え 夢へ
ドイツ以外の国の試合にも出場できる位、美佐子のヘルニアの調子も良くなり久し振りのU・K戦ライジングスターで2度目の準決勝入賞、ドイツですでに高額の賞金を頂いていたけどイギリスの大会で賞金が取れるのはやはり嬉しいものです。 ...
第3章-1998年 痛みを乗り越え 夢へ
ドイツ国内の小さな試合で数多くファイナルを踊り経験を積み重ね、迎えた2度目のジャーマンオープン選手権、その年のショーダンス世界選手権第3位のロシアチャンピオン、後のショーダンス世界選手権優勝のスロベニアチャンピオンを抑えてショーダンスで優勝。 ...
第3章-1997年 痛みを乗り越え 夢へ
辛いリハビリを乗り越え、ラルフの紹介でドイツにドクターも見つけ、短期間なら毎週治療を受けながらもドイツ留学を再開できるまでになりました。 そして迎えたジャーマンオープン選手権ライジングスターで当時のロシアチャンピオンやスロベニアチャンピオンを抑えての優勝。 ...
第3章-1996年 痛みを乗り越え 夢へ
JDCに移籍した1年目イーストジャパン選手権及び関東ダンス選手権で初優勝、初めてのビックタイトルを手にしました。 しかし美佐子が胸椎ヘルニアを発症、以後長く辛い日々の始まりでした。
第2章-1995年 初めての留学、そして選択
年初めのU・K戦ラテンライジングスターでは日本人でただ一人準決勝に入賞、海外で初めての賞金を貰い、夢は膨らむばかり。 東京選手権ではひとつ順位を上げ第2位、第2回JDC全日本オープン選手権では2つ順位を上げ第4位、そしてこの年ついに大きな決断をする時がやってきました。 ...