習うとは自分が変わる事
信頼関係がダンスを作っていく上でのスタートラインだと思います。「変化するには、ひとの一生の習慣に抵抗するような決断が要求される」と言った人がいます。
習うと言う事は自分が変わると言う事です。 learnの重要性、それはレッスンの中での試行錯誤を共有しミス&トライを繰り返していく上で構築されるものです。大切な事は 自分をごまかさない事 本当の自分の気持ちは自分だけの物です。それを理解してもらう事は時間を必要とします。 良い生徒を演じる必要は有りません。 常に100%のパフォーマンスをレッスンでみせる事は先生に理解を求める生徒の姿勢だと思います。知識を共有する事(study)も重要ですがlearnできる状態になってからの方が楽しいレッスンになります。本当です。
いつからこんな関係になったのだろう?と言うわけで、次回からちょっと回想してみようと思います。
究極の理解者
パートナーである美佐子がレッスン後の2人でのディスカッションの中で
「違和感を探す」 とよく口にします。違和感をみつけられるという事は以前の動作を頭と体の両方で理解している事であり、違和感を感じた所がラルフに修正された所だと思っているからです。 個性と癖は似ているようで全く別物です。 個性は伸ばすもので癖は修正されるべきものです。ダンスを始めたころ、自分の踊っている姿を離れたところから見られたらどんなに練習がはかどるかと思っていました。
もし自分の分身が先生だったならば究極の理解者であり、最高の先生になると思います。
今ではラルフは幽体離脱した自分のような存在で自分の感覚のズレ「癖」を修正してくれる絶対無二の存在です。そんな 先生と生徒の信頼関係を築く 素晴らしい事だと思いませんか?
癖と習慣
こうした事を常に経験することで、分かった事と言えば
心地良い感覚とは習慣によって身に付けた癖から抜け出さない時に得られるもの それだけでした。 いろいろ試行錯誤した結果、記憶の残っている感覚は日頃の習慣に非常に左右されてしまう事、それが 癖となり上達の妨げになっている という結論に達しました。
Studyだけでは限界がある。Learnするために導いてくれる存在が必要、それが先生なのではないでしょうか。
自分の記憶の中の感覚
現役時代のある時期にスペイン人のダニーにレッスンを受けました。
ピラティスの先生なのですが、レッスンの初めに必ず壁に張り付いて左右の肩の高さと頭の垂直を、鏡を見ながら修正します。そして触覚を頼りに筋肉の動きもチェックします。その後バランスボールなどを使ってトレーニングするのですが、自分の記憶の中の感覚は日替わりで、自分に正直になればなるほど 「なんでこんな簡単な事がわからないのか?」 と考えさせられたのを思い出します。
やり易いと思う動作は自分の癖であり、動作には日頃の習慣が大きなウェイトを占めていたのです。そして良いと言われた時と同じ記憶の残っている感覚を求めても二度と得られない事実を受け入れる事になりました。
自分の感覚はあてにならない?
一般的に感覚とは五感、すなわち視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚ですべて外との繋がりを感じるものですが、重要なものは六番目の感覚、自分の内側に向けられたものだと思います。
よく「彼等はセンスがいい」とラルフも口にしますが、ダンスを見て五感のどれかがいいなんて褒めませんよね。このセンスはシックスセンスに対してではないでしょうか。
この内に向かう感覚は非常に重要で、この感覚に狂いがあるとどんなに素晴らしいレッスンも「豚に真珠」状態になってしまうことと思います。前回の自分の感覚とは 自分の記憶の中に残っている感覚のことで、リアルタイムの感覚ではありません。 ココが重要なのですが、レッスン後の練習はこの記憶に残った感覚に頼らざるを得ないという事なのです。
Study(勉強する)と Learn(学ぶ)って?
ダンスのレッスンに求める事はなんでしょう?ダンスは自己表現の為のものですよね
よくレッスン中に「後で練習しておきます」という生徒がいます。
練習の過程を見せたがらない生徒もいます。
レッスンの内容が知識を伝えるだけならそれでもいいのです。
しかしそのレッスンの過程や試行錯誤が先生にも生徒にもとても重要だとしたら?
習得には時間が必要です。練習時間を作る事はとても重要ですがその前に、
Studyだけがレッスンではありません、先生は授業をしているのではないのです。
Learnの手助けをする存在、最重要人物こそ、そうです自分の先生です。
自分の感覚はあまり当てには出来ないという事を考えた事はありますか?
教わり方ではなく学び方
最近ラルフとStudyとLearnの違いについてよく話します。
辞書を引くと両方の単語ともほぼ同じ意味だと思いますがlearnは学ぶ、の他に習う、習得するという意味合いが強く感じられ、studyは勉強するという意味だと感じました。
今の情報社会では勉強する事は難しい事ではありません。教科書も参考書あります。
雑誌には誌上レッスンが溢れ、ダンスレッスンや競技会のビデオも観きれないぐらい。
ほぼリアルタイムに新しい情報、新しいアイデアが発信されています。
ただ本を読んだり、ビデオを見るだけでは手に入らないものがあるのは皆さんもご承知のとおりですよね。知識を得る事が勉強する事、そしてその知識を元に、自分の身につけていく事が習得する、習うと言う事だと思います。 多くの生徒が勉強する事に満足し、解ったつもりになっている 事はとても残念なことです。
ダンスの「レッスンを受けるということ」
なぜ初めにそこか?と言うと、引退してからのレッスンはもっぱら「どのように競技選手を育てていくか」というものになっていきました。その中でラルフの持つジレンマがこれです。
・・・教わり方ではなく学び方・・・ ココが重要です。
例えばルンバウォーク。教える内容は変わらない、むしろより分かり易く教えられるようになった。ではなぜ出来ない生徒がいるのか?ウォークに限らず全ての動作においてそうです。ラルフとのやり取りの中で思う私の頭の中はこれです。
私の頭の中にあるもの
今まで自己紹介を兼ねて~歩み~を書いてきましたがいよいよ本題に入ろうと思います。
私の先生はラルフ・レピーネ氏です。愛に溢れ、ダンスの大切さは内面にあると思わせてくれる偉大な先生です。動作のメカニズムの理解と技術に裏付けされた音楽性は世界一だと思います。そんなラルフに初めてレッスンを受けにドイツに訪れてから19年が経ちました。この月日が現在の私達(私達とラルフ)の先生と生徒の関係になるまでの数々の試行錯誤を生み出したのですが、この数々のエピソードがダンスをもっと良く踊りたいと思う皆さんにとってのアイデアの1つになればと思っています。
まず初めに
ダンスの「レッスンを受けるということ」
をテーマに少し書いていこうと思います。